ネイリスト検定

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アジアのネイル史

中国では、古くから『爪染め』が行われており、遊牧民の婦女たちも『紅粧』(こうしょう)『爪紅』(つまべに)を行っていたことが明らかにされています。
その後、宮廷においては爪の長さ等は身分階級を表す重要なものへと変わっていきます。紀元前600年なると皇族は金や銀を爪に塗るようになりました。
また、西太后が小指と薬指に翡翠の長い爪をつけている絵画があり、18世紀にはすでに付け爪があり、それは目を見張る程高度な技術を持って作られています。
更に、裕福な位にある男女共に小指と薬指の爪を長くする風習があり、長い爪は手仕事をしない高貴な身分の証と考えられていたそうです。

 

日本のネイル史

飛鳥・奈良時代

古代の日本では、自然界のすべてのものは神によって創られ、その神が創った草木には霊が宿ると信じられていました。
霊の宿る薬草には病気の悪霊を取り払う作用があると考えられ、衣類などの染料には薬草が使われていました。
また古代エジプトと同様に「赤」に対して強い執着心があったとされ、奈良・飛鳥時代の赤は『紅殻』(べにがら:酸化鉄を主成分としたもの)が用いられ、額の中央や唇の両端、爪にも使われていたといわれています。

 

平安時代

遊女によってお化粧が下層階級にまで広がり、鳳仙花(ほうせんか)とほおずきの葉をもみ合わせて爪を紅く染める『爪紅』(つまくれない)も行われていました。
鳳仙花を別名として『ツマクレナイ』と呼ぶのは、マニュキュアのように、花で爪に色をつけたことからきています。

 

江戸時代

紅花を使用した染色技術が中国から渡来し、日本でも紅花の栽培が盛んになり、化粧も利用されるようになりました。
当時は爪に紅を塗ることを『爪紅』(つまべに)、口に紅を塗ることを『口紅』(くちべに)と呼んでいました。
文献では、赤いホウセンカの花弁を杯に入れ、ミョウバンを加え花弁をつぶしながら混ぜ、骨でできた専用の針を使って爪を塗っていくと記されています。

 

明治時代から現代

フランスからマニュキュア術が伝えられ『磨爪術』(まそうじゅつ)が発達しますが、本格的に普及したのは昭和に入ってからのこと。
70年代後半、アメリカからネイルの技術と商品が導入されると、ネイル技術を職業とするマニキュアリストやネイルサロンが出現し、1985年、日本ネイリスト協会が設立され、『ネイリスト』という言葉が生まれ、メイルムーブメントが巻き起こり、2000年、ジェルブーム(ハード)なども拍車をかけ、ネイルは市民権を持ち、ネイリストは職業として社会的に認められる様になり、現在に至ります。

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