世界のネイル史

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世界のネイル史

マニキュアとは、爪にぬるネイルエナメルとネイルの施術の両方を指すのが一般的です。
manicure (マニキュア)という言葉の語源は、ラテン語で「手」を意味するマヌス(manus)「手入れ」を意味するキュア(cura)が合わさったものです。つまり本来は「手の手入れ」という意味で、ネイルケア全般を指す語でした。 ちなみに「ペディキュア」も「足」を表すラテン語ぺディス(pedis)とキュア(cura)が語源です。

 

古代エジプト時代

ネイルに色を施すという歴史は古代エジプト時代(紀元前3000年以前)から営まれてきたと言います。
ネイルの技術と言うよりはお化粧(手、顔、身体を含むすべての部位に対しての色彩を施す)としてスタートしたと思われ、古代エジプト時代には、植物のヘンナ(ヘナ)の花の汁を用いて爪を染める習慣があったようです。
このヘンナ(ヘナ)はミソハギ科(他にサルスベリ等)の植物で染色に用いられるハーブです。
古代人は特に赤色を好んでいたといわれ、太陽の赤、血の赤をあらわし、神聖な色として尊ばれていました。

 

そして、エジプトの古い資料に第6王朝の頃(ギザの三大ピラミッドが造営された頃)に爪を清潔に保つために男女共が行っていたという記録があります。
また、発見されたミイラの爪に色彩が残っていたことや、古墳の死骸近くの土やその人骨が赤く染まって発見された事から、朱(水銀朱)は防腐剤としての効果があるという事を知っていたのではないかと思われています。
古代において復活と再生、来世での霊魂の存在を信じ、身分の高い者達の死骸を保存するべく、ミイラの爪にも朱の色が施されていたようです。

 

更に古代エジプト時代にはスキンケアのような美容術や、ヘアカラー等もあり、美容に関してはそこからギリシャ・ローマ時代へと伝えらていきます。

 

ギリシャ・ローマ時代から中世・ルネッサンス時代

上流階級の中で『マヌス・キュア』という言葉が生まれ流行していきます。
当時のギリシャの女性は控え目な生活が望まれ、健康的な美を理想とし、人工的な美は好まなかったといいます。
そのような背景から、お手入れとしてのマニュキュアが流行したことが理解できます。

 

さらに、中世・ルネッサンス時代になると階級層の成り立ちの影響から、芸術、文化が発達し、中でも舞台芸術がお化粧の文化を高めていきます。
オペラの起源となるバレエが創作され、キャラクターを演じる上の演出としてのお化粧と共に、指先の演出が生まれます。

 

近代・19世紀

欧米ではいよいよ一般女性にも身だしなみとして、マニュキュア(手の手入れ)が浸透し始めます。
蜜蝋(みつろう)や油などを研磨剤として使い、セーム皮で磨く方法などで、ナチュラルで透けるようなピンク色のネイルがもてはやされます。
また、おしゃれとしてのネイルが確立し始め、職業としてのマニュキュアリスト・ネイルテクニシャンが登場します。

 

20世紀

1923年、自動車の塗料としての速乾性のラッカーが開発され、その副産物として1932年、ネイルラッカーが発売されます。現在、私たちが使用しているネイルポリッシュの誕生です。
1970年代アメリカ、映画の都ハリウッドのメークアップアーティスト(特殊メークアップ)チームにより生まれた『スカルプチュアネイル』、歯科材料であるレジンを使っての
ネイルイクステンションが大ブレイクして、瞬く間にネイルサロンが広まり現代に至ります。

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